大河も愈々佳境になってきました。ここにきて刀伊の入寇。
前回から部隊は博多・大宰府が登場しました。
礎だけしかみとらん大宰府政庁跡、あげな作りやったっちゃねて思いました。
春には桜がきれいで心休まる場所です。公園内にはあの
新元号「令和」ゆかりの坂本八幡宮もあります。
主人公まひろは松浦まで船越から舟で行くことになりますばってんが
大宰府から船越までは結構ありまっせ(^^♪
川下って博多まで出たとしたっちゃ徒で2~3日はかかったでしょうや・・・
糸島の可也山は別名糸島富士て言われます。今の西新の先の藤崎は
あそこまで行ったら糸島富士が見えるけん「藤(富士)崎」の地名らしいです。
ばってんが見えたっちゃ車で小一時間はかかりますぜ~・・
この糸島半島の船越、今では牡蛎小屋で有名なとこでおいしゃんもたびたび行きよりました。
「恵比須牡蛎」のブランドで今、流行りですね。
この「刀伊の入寇」は元寇の200年以上前のことです。
朝鮮半島の「女真族の海賊」が攻めて来たとですね。
これより350年以上も前「白村江の戦い」で敗れた倭国は、唐の軍勢が
攻めてくるかもで作ったとが今も残る「水城提」と「大野城」です。
西の守りには怡土(いと)城」も作り対馬にも防人ば配置し金田城ば作って防備しました。
怡土は今の「糸島」伊都て言う時代もありました。
伊都国は『魏志倭人伝』にも登場しますね
それでちゃ被害が多かったとは兵力の数が少なかったとでしょうね(>_<)
この時、大宰府権帥が隆家でよございました。他の名前だけの貴族やったら
被害はもっと多かったと思いますね。
この「大宰権帥(だざいごんのそち)」は実質的な最高職でその次が
「大宰大弐」これは後に平清盛も務めます、その下が「大宰少弐」
代々この官位を務めた武藤氏は後に「少弐」と名乗り北部九州の雄として
元寇時にも活躍します。
大河に船越が出てきたけん嬉しゅうてちょこっとこげなこと書いてみました。
さておいしゃんの週末はて言うと金曜日の夜は「六人会」
17年前、大黒流の同期で取締になった六人が現役辞めても年に2回ほど集まる会です。最近はその前後で同期の取締がおらんアラブと額縁屋さんも今は仲間入りしとります(^^♪
今回は忘年会、須崎の「八千代丸」で美味しいお刺身堪能した後、期間限定で営業しよるアラブのウイスキーバーへ
山崎頂いてます。
高級な奴から珍しいやつまでお安く頂いて楽しい時間過ごしました。
大黒流振興会役員になった川中の額縁屋さん、麹屋番元取締の日下部君もご一緒でした。
昨日曜日は福博の街の暮れの恒例行事「福岡国際マラソン」でした。
子供の頃、家のすぐ近くの昭和通りば通るコースで毎回応援に行きよりました。
おいしゃんが西洋人ば初めて見たともこの国際マラソンです(^^♪
以前は一直線で雁ノ巣折り返し(最初は古賀折り返し)やったけん
コースの前半戦やったばってんが高速コースの都市マラソンに変わって
博多中心部は25kmくらいの地点になります。
毎年この日は神屋町の「吉牛」でお昼食べるとが吉例です(^^♪
時間調整しとるけん食べ終わって大博通りに出たくらいでちょうど
交通規制が始まります。奈良屋自治の体育委員も駆り出されとります(^^♪
今回は日本有数の高速ランナーが揃い期待しとりましたが
見事、吉田祐也選手(GMO)が4年前に続き今回は日本歴代3位の成績で優勝でした。
GMOはおいしゃんが以前使いよったインターネット回線会社ですってそいけんなん?(^^♪
一時期、海外選手に勝ち切らんかったとが続いたばってんが日本選手も
ここんところ力つけて来て2:05台の選手が出始めてます。
マラソンどこまで記録が伸びるっちゃろう?
ちなみにマラソンやスキージャンプは世界新記録て言わんで世界最高記録。
これは戦う環境やら天気が違うけんらしいです。
後続が延々と続いて道路渡られんけん地下鉄に潜って反対側へ
サニーでお買い物して帰ってきました。
夜はホタテと海老の炊込み
とカレイの煮つけに豚汁こさえました。
一夜漬けのキムチと胡瓜の朝漬けも食欲そそります(^^♪
ここにきてやっと木々が色づき始めました・・ていうたっちゃもう師走です。
それでちゃ今日の最高気温予報はまたまた20℃、着るもんに困ります。
夕方はぐんと冷え込むけんあんまり薄着やったら帰りが寒かです(>_<)
博多の町も「夫婦恵比須」が終わったら店じまい、冬眠に入ります(^^♪
今年もあとひと月ば残すのみ・・・・
朝ドラは相変わらず面白ろう無かね~(>_<)
舞台が糸島の必要なかったっちゃな~い?今ヤッサ阪神淡路大震災の内容になっとるばってんが、主人公が最も体験したであろう福岡西方沖地震はまったく出てこんかった、糸島方面はあんとき大概揺れて被害もあったはずなとぃね・・・・
さぁあとひと月、年越しまで頑張らねば